五味康祐のタンノイ・オートグラフを聴く
作家の五味康祐が亡くなったのが1980年で、それから27年後に引取り手のなくなった遺産を練馬区が引受けた。本来なら廃棄処分されるところを、練馬区が裁判所の許可を得て動産を一括して引受けたのは、今にして英断だとわかる。
五味康祐がオーディオに血道をあげて30余年、それから主(あるじ)を失って35年を経た装置は、音が鳴らない状況だった。30年前もの骨董品とも呼べるオーディオ機器を、練馬区が保管しメンテナンスし続けることに如何なる価値があるのかと、現地を訪ねた。
設置場所を当初の練馬区役所から石神井公園ふるさと文化館分室に移転し、保管・展示している。2014年7月から、オーディオ装置を視聴するレコードコンサートを再開した。毎月開催するレコードコンサートは、毎回20人の席を抽選するほどの応募がある。視聴の際、空調は切られる。当然だ。だから7月と8月の視聴会はない。
五味の部屋とほぼ同じ大きさの視聴室に機器が据えてある。プレーヤーEMT930stからプリアンプC22へ、パワーアンプMC275からタンノイ・オートグラフへ繋がっている。しかもMC275の真空管KT-88がほの暗くオレンジに光り、そばに寄ると熱を感じる。
音を聴いて驚いた。
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たとえば『マタイ受難曲』や『メサイア』で合唱メンバーを背景にバス、テノール、アルト、ソプラノ、と独唱者が四人並んで歌うとき、拙宅ではオートグラフを約五メートル幅の壁の両側にすえてあるが、その壁面にハッキリ一人一人が並び立って、別々の位置で歌ってくれる。そんな独唱者の立像はあたかも眼前に居並んでくれるようで、どれほどボリュームを上げてもその身長は決して巨大にならないし、ステージにしっかり両足をふまえている感じが見える。この臨場感は実に快い。
五味康祐オーディオ遍歴(新潮文庫)より
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五味康祐 音楽巡礼・五味康祐 オーディオ遍歴(新潮文庫 ※ともに絶版)
本に書かれた文章がようやく理解できた、というより体感したのだから「そう」としか言いようがない。これでも「まだまだ」と、管理している職員は言う。
CDがまだ誕生する前のオーディオ装置がこれほど豊かに鳴るものとは予想を超えていた。ここまで甦らせたのは並大抵のことではない。30年も手に触れずカビが生えていたLP約900枚も、丹念にクリーニングしてまさに五味康祐の愛聴盤そのものが、眼前で音楽を奏でている。
当日の視聴盤:
・モーツァルト:レクイエム K.626
マリア・シュターダー(S)
ヘルタ・テッパー(A)
ヨーン・ファン・ケステレン(T)
カール・クリスティアン・コーン(b)
ミュンハン・バッハ合唱団
ミュンハン・バッハ管弦楽団
カール・リヒター(指揮)
録音:1960年
・クレンペラー/マーラー:交響曲第2番「復活」
オットー・クレンペラー指揮
フィルハーモニア管弦楽団&合唱団
(ソプラノ)エリザベート・シュワルツコップ
(メゾ・ソプラノ)ヒルデ・レッスル・マイダン
録音:1961-11 1962-3
※写真はCDジャケット
「音楽には神がいるが音には神はいない」と五味は書いている。今は当時よりはるかに技術的進化を遂げ、歪やノイズの少ないハイレゾの時代で、音の一つ一つをクリアーに再生するのは難しいことではない。しかし演奏者がステージで奏でる音場、音ではなく音楽を再生する装置はそう多くない。
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絵で言えば、簇生する花の、花弁の一つ一つを、くっきり描いている。もとのMC275は、必要な一つ二つは輪郭を鮮明に描くが、簇生する花は、簇生の美しさを出すためにぼかしてある、そんな具合だ。どちらを好むかは、絵の筆法の差によることで、各人の好みにまつほかはあるまい。
五味康祐オーディオ遍歴(新潮文庫)より
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練馬区は、本当に貴重な文化の保全に努めている。
(年末恒例にしていたNHK-FMのバイロイト音楽祭・ニーベルングの指環 録音テープ)