(こころの玉手箱)チェロ奏者・指揮者 鈴木秀美

チェロ奏者・指揮者 鈴木秀美(1) 愛用の楽器
2018/5/21 日本経済新聞 夕刊
 私は音楽が作曲された当時の楽器や奏法に近い形で演奏する古楽のチェロ奏者・指揮者として約40年間活動してきた。古楽というと古くさく、退屈なイメージが強いかもしれないが、作曲家のメッセージを現代に再現するという意味で、これほど新しく、創造的な方法はない。
 9歳でチェロを始めた当初はスチール弦の現代楽器を使っていたが、大学入学後、ガット(羊腸)弦の古楽器にも触れ始めた。当時は古楽という考え方は一般的ではなく、当然、周囲は古楽をやることに反対する「逆風」ばかりだった。しかし、私は作曲当時の楽譜や演奏のスタイルを学究的に追い求めたいと考えていた。師匠の井上頼豊先生は私の考えを尊重してくれた。「なぜそういう弾き方をするか、考えることが重要」という先生の言葉が印象に残っている。
 現在、チェロは5本所有し、主に3本を使い分けている。1本目が16世紀末、2本目が17世紀前半、3本目が18世紀初頭に製作された楽器で、年代だけでなく、それぞれセットアップ(仕組み)が異なる。1本目はバロック音楽の演奏で最もよく使う。2本目は井上先生にお借りしている大事な楽器。3本目は5弦(普通のチェロは4弦)の珍しい楽器で、J・S・バッハの「無伴奏チェロ組曲第6番」やシューベルトの「アルペジォーネ・ソナタ」などに用いる。
 苦労するのは持ち運びである。1本でさえ大変だから、例えばひとつの公演で複数本の楽器を使い分けるとなると、人の手だけで運ぶのは不可能だ。国内であれば大型の車で運ぶこともできるが、海外の場合は、自分の座席のほかにチェロが置けるだけの飛行機の座席を確保する必要がある。バロック期の音楽とロマン派の音楽では美的感覚が全く違い、楽器もそれぞれの時代の音楽に適するようにできている。手間がかかったとしても楽器の使い分けは重要だ。
 2016年に亡くなった指揮者アーノンクールのように、古楽の権威と呼ばれる音楽家の存在がそれほど珍しくなくなり、私が始めた頃に比べると、日本でも多くの団体や音楽家古楽を演奏するようになった。それでも、「なぜそう弾くか?」を追求し、一音一音にその考えが表れるような演奏を志す私の姿勢は変わらない。

 すずき・ひでみ 1957年兵庫県生まれ。チェロ奏者・指揮者。桐朋学園大卒。デン・ハーグ王立音楽院留学。18世紀オーケストラなどの奏者を務め、94〜2000年ブリュッセル王立音楽院教授。01年オーケストラ・リベラ・クラシカ結成。山形交響楽団首席客演指揮者、東京音大客員教授
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO30681840Y8A510C1BE0P00/


チェロ奏者・指揮者 鈴木秀美(2) 恩師アンナー ビルス
2018/5/22 日本経済新聞 夕刊
 バロックチェロに興味を持った私は、本場の欧州で学びたいと考えた。当時国内で教えられる先生はいなかったから当然のなりゆきだった。桐朋学園大学を卒業後、現代曲や室内楽など、4年間で300回ほどの演奏会をこなしながら留学のタイミングを探った。そして、オランダのチェロ奏者、アンナー・ビルスマに学ぶことを決めた。
 ビルスマはバロックの世界では最も知られたチェロ奏者の一人だ。1984年、彼が教えていたオランダのデン・ハーグ王立音楽院に留学した。ビルスマはもともと世界屈指のオーケストラであるアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団(現ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団)の首席奏者として活躍し、その後バロックチェロ普及に尽力した。
 指導者だからといって偉ぶるところはなく、学生の私にも対等に接した。過去に演奏したことがある協奏曲でも、彼のもとで弾くと新たな発見があり、チェロの歴史そのものを感じるような感覚があった。
 オランダは多様な民族や人種が集まる国で、日本とは文化も大きく異なるが、特にファーストネームで呼ぶ習慣には当初なじめなかった。彼のことを「アンナー」と呼べるようになるまで、それなりの時間がかかったことを覚えている。ちなみに、「アンナー」というと日本では女性かと思う方がおられるだろうが、男性だ。私も女性に間違えられやすい「ヒデミ」なので、奇妙な親近感が湧いた。
 先生と生徒という立場から音楽家同士になった後も交流は続いた。86年にはアンナーが来日し、一緒に室内楽コンサートで演奏する機会があった。忘れもしない、上野学園大学(東京・台東)の石橋メモリアルホールでだったが、私にとっては本当に素晴らしい時間だった。
 演奏家は一音一音に込められた意味を熟考し、表現するという意味で哲学者のようであり、研究者のようでもある。アンナーはそのことを身をもって教えてくれた恩人だ。
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO30757020R20C18A5BE0P00/?n_cid=SPTMG002


チェロ奏者・指揮者 鈴木秀美(3) 指揮者フランス
2018/5/23付
日本経済新聞 夕刊
 アンナー・ビルスマのもとでバロックチェロを学んだ私は、1985年から93年まで、オランダの名指揮・リコーダー奏者であるフランス・ブリュッヘンが創設した古楽オーケストラ「18世紀オーケストラ」の奏者を務めた。井上頼豊、アンナー、フランス。この3人は私の音楽人生に多大な影響を与えた。
 指揮者は威厳やカリスマ性をもってオーケストラをけん引する印象が強いが、フランスは極めて自然体の人だった。リハーサルにもダボダボのセーターとズボンを着て、ふらっと自転車で練習場にやって来る。初めて見た時は「この人があのブリュッヘン?」と驚いた。
 しかし、ひとたび練習が始まると、非常に細かな点まで何度も音合わせをする。音楽への情熱はすごかった。それでいてオケに疲れが見え始めると、「退屈になったね」などとボソッとつぶやいて笑わせる。その後、演奏を再開すると、何の指示もしていないのに音楽が生気を取り戻した。楽団全員が魔法にかかったようだった。
 国内外への演奏旅行が中心の「旅する楽団」だ。メンバーは年2回、世界中から集まり、毎回同じ演目で15〜20公演を1カ月間でこなす。日本のオーケストラではちょっと考えられない、ハードな日程だ。
 日本を代表する古楽のバイオリニストである若松夏美さんは、私より先に18世紀オーケストラに入団していた。私が初めて10公演のツアーに参加した際、若松さんに「きついね」と話したら、「10公演なんて楽な方だ」と平然と言ったのが印象的だった。
 フランスの人柄をよく表す出来事が、90年代前半の米国ツアー時にあった。広大な米国内は基本的に飛行機で移動するのだが、たまにバスも使う。その車中で、自ら団員にドル札で「日当」を手渡した。今ではなかなか見られない光景だろう。こうしたトップの飾らない姿がオケの結束を強めていた。私も山形交響楽団に首席客演指揮者として招かれるなど、指揮活動が増えている。様々な意味で学ぶことが多いのがフランスである。
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO30810940S8A520C1BE0P00/?n_cid=SPTMG002


チェロ奏者・指揮者 鈴木秀美(4) バッハの無伴奏チェロ組曲
2018/5/24 日本経済新聞 夕刊
 チェロのソロ作品として最も有名な作品の一つが、J・S・バッハの「無伴奏チェロ組曲」全6曲だろう。誰もが演奏や録音を熱望する作品だが、一筋縄ではいかない難しさがある。
 桐朋学園大学の学生の頃。偶然キャンパス内でゴミのように放置されていた筆写の楽譜を見つけた。実はこの筆写譜、アンナ・マグダレーナというバッハの2番目の妻が1727〜33年の間に書いた楽譜の複製だったが、当時はそこまでの知識はまだなかった。
 バッハの膨大な作品群の中核をなすのは、カンタータや受難曲などの宗教作品である。チェロの組曲はもちろん私の重要なレパートリーの一つではあるものの、あくまでもごく一部分でしかない。「神聖だ」「気軽に触れられない」などと萎縮し、必要以上に祭り上げることはないのだ。私は主だった器楽作品はもちろん、結果的にバッハの全宗教作品の演奏を経験したので、そのことはよく感じられる。
 チェロ組曲はコンサートで数え切れないほど演奏したが、何度弾いても新たな発見がある。私はもっと深くこの曲を知ってほしいと思い、2000年代に「ガットカフェ」という古楽を紹介するイベントを企画して、お話しした。その後、東京書籍からこの時の話をベースに無伴奏曲の解説本を書かないかという誘いをいただいた。
 無伴奏作品には多くの名演や名録音があるにもかかわらず、これまできちんとした解説本はなかった。いい機会だと思い、執筆を引き受けた。
 前例がないだけに、執筆には大変な苦労があった。譜例は800以上盛り込んだ。バッハの原典に基づき、奏者の判断で2通りのスラー(高さの異なる音符をつなげ滑らかに演奏するための記号)を選べるように記すなど、研究成果に基づく充実した内容になったと思っている。
 偶然、大学時代に手にした複製譜は、今も手元にある。年月がたってぼろぼろになっているが、私にとっては無伴奏組曲に関わる仕事にもつながった、大事な楽譜である。
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO30892800U8A520C1BE0P00/


チェロ奏者・指揮者 鈴木秀美(5) ポーランドの伝統料理
2018/5/25 日本経済新聞 夕刊
 フランス・ブリュッヘン率いる18世紀オーケストラに所属するうち、自分でも演奏グループを作りたいという思いが湧いてきた。そのころ、居を構えていたオランダのハーグで娘が生まれた。これからの音楽的環境と、娘のアイデンティティについて考えた結果、日本に戻ろうと決めた。そして2001年に日本で結成したのが「オーケストラ・リベラ・クラシカ(OLC)」である。02年に第1回の公演を行った。
 「リベラ」はイタリア語で自由、「クラシカ」は古典を意味する。規則に縛られた音楽と思われがちなハイドンなど古典派の作曲家の音楽を「自由に」感じて演奏することを活動の中心に据えた。古楽のオーケストラは18世紀前半以前の音楽、一般的なオーケストラは19世紀以降のロマン派などをメーンに取り上げることが多く、実は古典派が主軸のグループは少ない。その隙間を狙った。
 もう一つ、楽団の特徴として「多様性」を打ち出した。私はたくさんの人種が暮らすオランダで学び、演奏をしてきたので、日常的に数カ国語が飛び交う環境が当たり前だった。だから日本で楽団を作る時も、様々なバックグラウンドを持つ奏者を集めたいと思った。オランダ出身のオーボエ奏者であるエドゥアルト・ウェスリィさんはメンバーの一人だ。
 2011年には彼を含む奏者と一緒にポーランドへ演奏ツアーに行き、ショパン国際コンクールの会場として有名なワルシャワフィルハーモニーホールなどで充実した演奏をした。演奏以外でも印象に残る出来事が多かった。食事はその一つで、レストランで食べた伝統料理「ピエロギ」は、ポーランド風ギョーザのようなものだった。
 国内外にいる友人や知人と日々交流し、文化に触れながら仕事ができるのは音楽家の特権だ。OLCは年に3回の定期公演を開いており、6月にも公演がある。これからどんな音楽家と出会い演奏ができるのか。自分でも楽しみだ。
https://www.nikkei.com/article/DGKKZO30911750U8A520C1BE0P00/?n_cid=SPTMG002